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東日本大震災から10年

東日本大震災から10年

2011年、平成23年。3月11日 金曜日 午後14時46分。

東日本大震災の発生からから10年の歳月が流れました。

今日、政府主催の「東日本大震災十周年追悼式」が東京国立劇場で開催されました。
発生時刻に合わせて黙祷を捧げ、10年前の記憶をたぐり寄せていました。

遺族代表の挨拶をされた方の内お一人は、当時幼稚園の年長さんだったと話されました。10年という年月の長さは、若い方を見ていると痛感します。

 

地震・津波被害に遭われた方々、原発事故に関連した方々、様々な復旧に携わっている方々や関係されている方々にとっては、この10年間は、線であり、面であるのだと改めて感じました。

 10年前の記憶をたぐり寄せるわたしにとっては、点線なのだと感じたのです。

 

あの金曜日の夕方、帰宅前に地元のファーストフード店でコーヒーを飲んでいました。

そして、その日のありふれた思いをSNSに書き込んだ直後、ニュースで震災と津波被害のことを知ったのです。
即座にその呑気な投稿を取り消し、急ぎ家に帰り、報道画面に釘付けになりました。

 

阪神淡路大震災を経験していましたが、津波が遡っていく映像は怖ろしかった。

翌日からの報道映像を見ながら、胸がいっぱいになる日々が始まりました。

そんな被害に遭った地域に、無情にも雪が積もる映像。

あるのはこの身だけです。と、まだ洗うことも出来ず手の乾いた土を剥がしながら話す女性。

供える花すらない。と語る方々・・・。

震災の被災体験から、それでも本当に被害の大きな地域のことはまだ、わたし達には届いていないと思っていました。

しかし、阪神淡路大震災から16年が経ち、携帯電話やSNSが普及していたことで
通信網や電源が確保されていた場所からの救助要請は、拡散していきました。

あの頃、新聞やテレビの報道を拾いながら被災された方々に向けてコラムを書いていました。しかし、必要とされる方々には、これらを読む環境は調っていないだろうとも思っていました。
でもいつか、一人にでも届き何かの助けになりますようにと願っていました。

 

直後は、ガソリンスタンドに列が出来たり、トイレットペーパーが無くなる現象が起こっていましたが、日本全体に自粛ムードが広がり、

スーパーの商品が減りにくい状況が5月頃まで続いていました。

あの出来事で、多くの日本人が自分の身辺を見直す期間が訪れました。

徐々に他の地域の人達が救援に入ることができるようになり、

瓦礫の中に花が供えられる映像。

草木が芽吹き、花の咲く映像も流れるようになっていきました。

記憶が点線の者の中で、見聞きしていた記憶が消えていこうとする中、

2020年、目に見えないウイルスの脅威が世界に広がっていきました。

あの時、全世界から救援に入って下さった方々の手は、今では困難です。

わたし達は、更に何を問われているのでしょうか。

きょうの報道を見ながら

人の縁が切れていることが辛いという話がありました。

やっと復興住宅に入ったのに、一人で住んでいると親族にも会えない。
孫の顔が見れない。毎日、外にも出れず話すことがないのだと訴えられました。

わたし達が、失ったことから回復していこうとするとき

こころ(感情)と、からだ(肉体)と、たましい(意識)の全ての回復が必要だと思ってきました。

しかし、今の状況を思うとき、わたし達を取り巻く環境のうち

人との繋がりが、いかに大切なことであったのかを知らされます。

日々の何気ない挨拶や、雑談が生活を潤してくれていたことに気づくのです。

東日本だけではなく、今年も自然災害に見舞われた地域があります。

原発事故を併発して、未曾有の大災害が起こってから10年。

その年月を感じながら、今の世界の状況も併せ

それぞれが、今日は今の時代を生きていることについて考える契機となる日だと思っています。

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