神戸大空襲
神戸大空襲
朝、雨戸を開けると、明石海峡を穏やかに行き交う船や曳航される船の姿が見えました。
街並みも、昨日と変わらない朝。静かな朝でした。
この毎日見ている朝の景色を、特別に感じたのは、
報道で、3月17日に営まれた「神戸大空襲 合同慰霊祭」のことを知ったからでした。
母の物語を書いたとき、神戸の空襲についても調べました。
当時、母は神戸の高等女学校に通っていて、学徒勤労奉仕に動員されていました。
神戸・阪神地域への空襲は、1945年(昭和20年)1月から8月まで、大小あわせて130回近く。
その中で特に大規模な「神戸大空襲」は、西側地区への3月17日と東側地区の6月5日だったそうです。
現在も神戸で営まれている慰霊祭のことは知りませんでした。
神戸市兵庫区の薬仙寺で営まれたと知ったので、その場所を調べると
神戸市営地下鉄「和田岬駅」の近くでした。
このところ、戦争に関連していくコラムになりがちです。
今年は、戦後80年にあたり、戦争関連の報道が増えて触発されているのもありますが、
1月末、学習仲間と靖国神社に国家安泰祈願の正式参拝をして、併設の遊就館を拝観したことにも依るようです。
また、何度も書いてしまいますが再放送中のNHK連続テレビ小説 「カムカムエヴリバディ」を、時代を行ったり来たりしながら観ていることも関係しています。作中の第一世代は岡山が舞台で、第17話で空襲により岡山城の天守閣が炎上している様子が表現されていました。(岡山城あたりの空襲は、1945年6月29日)
さらに、靖国神社参拝 前夜(深夜)に放映されていた、
NHK『映像の世紀バタフライエフェクト 戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢』
を観て心が揺さぶられたことが、大きいです。
この番組は、第一次世界大戦から100 年以上にわたる戦争の映像素材を編集されて、作られた番組のようで、これまであまり報道されてこなかった、兵士達の精神的なことを扱った番組でした。
今年は年始から、日本での災害報道に触れ続けていることで
いま毎日、あたりまえの日常を迎えられていることが、本当に有難いことなのだと
気付くことができれば・・・との想いが、湧きあがってきています。
17日から、彼岸入りしました。
彼岸の間は、先祖のことを思ったり、話したりするのが良いようです。
今わたし達が、ここに存在しているのは、戦争の時代も経ながら、先祖からの命の繋がりが途絶えていない。ということです。
参考資料)神戸大空襲:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「三世代の女性たち、100年の物語 ~家族の物語~(2025-2-14)」
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/5185052/
『あなたの そして わたしの 物語』
幸せな人生とは?後悔のない人生とは?母が最期に教えてくれたこと
https://www.amazon.co.jp/dp/B099N55351?ref_=pe_3052080_276849420
「建国記念の日(紀元節)2025-2-11」
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/5184820/